衝撃と状態変化―変わらざる物と変わる物(自研究wikiより転載)

魔法やエネルギー攻撃といったものは特にRPGやファンタジーなんかだと間接的なものというか、直接的な衝撃はなくても何らかの効果はありそうだ、とも感じることもあるかと思いますが、今日はそんなお話です。ズバリ、「物理的な衝撃を加える直接攻撃よりも、エネルギー波やファンタジーであれば魔法・魔術攻撃などエネルギー、電磁波などによる間接攻撃、あるいは対象の物質の状態に変化を加える間接攻撃のほうが、よっぽど強力である」というテーマです。確かに物質一辺で考えれば単純にモノがある程度の衝撃を加えれば、壊れるか損傷を受けてダメになる、してそれがほとんどこの世のすべての物質に当てはまる、とするならばゲームや戦いなどで相手を倒そうと思えば単純に物理的な衝撃を加えればいいじゃないか、という考え方にもなってしまいます。しかしながら、大抵物や物、といってはなんですが生物や人、機械が対決するとき、というのはそれが意思あるものであれば、なおさら意図して相手の手を封じようとしたり攻撃を避けようとして立ち位置が変わる、そしてそれによって戦術的駆け引きや展開に変化が生まれる、というのは至極当たり前の話なので、このように実際に意思あるもの同士が対決するときというのは、大抵まともに衝撃を加えようとした攻撃が当たることはまずありません。そんなものがまともに当たってしまうようではその力関係からしてまず、まともな対決ではない、要は対等な状況で勝負していない、ということも往々にして言えてしまうわけなのですが、その攻撃が魔法や魔術、何らかのエネルギー波など間接的なものである場合は別として、まず直接に衝撃を加える攻撃、というのは生物であれば、至極物理空間的な、物理的な感覚で危険を察知しまず避けようとしますから、まともな対等な力関係の場合はまず当たりません。しかも、それら衝撃を加える攻撃というのはその予備動作からして大抵大振りである場合が多いですから、剣や近接武器による剣術などの場合は、例えばそういった大振りの攻撃(あるいはポールアームや長柄といったその武器の長さからして間合いの長い攻撃、あるいはその間合い)、はまずちゃんとかわして、そのあとそれを得物で押さえてその動きを封じた上で返しの一撃を食らわせる、というのが基本的な動作というか相手の倒し方、になります。まぁ、こういうのはカウンターあるいはパリィ、リポステともいいますがまぁここでは近接格闘の講義はしないのでとにかく衝撃を加えるための大振りの攻撃はまず、実践の対決あるいは駆け引きにおいては大抵当たらない、ということは確認しておきましょう。理由は前述の通り生命体的に、物理的に危険を察知するから、でまぁ要は分かりやすい攻撃はまずかわされやすい、ということは覚えておきましょう。まぁあえてその分かりやすい攻撃をフェイントに使って相手を油断させて前に出させたところを軽く払って動きを封じてしまう猛者もいますが、それはここではおいておくとしてここでは大振りの攻撃は当たらない、ということそして、そういったフェイクの動きで相手の動きをずらしてから前に出たとこを払う、といったことが近接格闘の一種のセオリーのようなものである、ということは覚えておきましょう。ということは、これは個人の闘いから大規模な集団戦闘でも同じで、例え剣であろうか弓箭であろうが銃砲であろうが飛び道具を使っていようが、「直接的に相手に衝撃を与えて、動きを封じるあるいは壊す攻撃は、戦いの駆け引き的に戦術的選択肢として効き目がないしほとんどの場合において有効ではない」、ということが言えてしまいます。なぜかといえば、剣戟はまだしも弓箭や銃砲といった飛び道具でも、歴史上の中世近世のものを見ればほとんど大規模な人数同士が相対して戦う時の場合は距離の差はあれど大抵正面から向かい合って撃ち合うのが常なので(これは単純に個々の攻撃の効き目よりも集弾を撃つといった集団の命中率、一回の攻撃・射撃あたりの攻撃効率が重視されるため。一回の攻撃で相手が何人倒れたか、という集団の論理で)戦闘時にまともに敵に相対する、といった行為はそれすなわち直結でこちら側も同様に同じような方法で相手に攻撃される、あるいは倒されるといった危険、物理的に衝撃を受けるリスクに晒されるため、中世近世のそれでは特に徴用兵や農民兵などの非職業軍人が多かったこともあり、指揮官の命令はあるから動くけども、実際には本音をいえば生命体的直感でいえばそういった危険は本来であればなんとしてでも避けたいわけです。そういった戦いといったものが生身の生命体同士が戦うものである以上そういう心理も働くため論理的にいえば、というか戦いの駆け引きや戦術的選択肢としてはそういった物理的衝撃を加える、直接攻撃は生身の人間同士がやりあう以上あまり賢くないし、生命体としては本来やりたくない、わけなのです。そういったことから考えても、直接的に物理的衝撃を加える攻撃は、たとえ史実の戦闘であってもRPGやファンタジーゲームなどでの戦いであっても避けたいと思うのが人間の心理なわけなのですが、こうも後ろ向きというか後ろめたい心理が働きやすい状況であるのに、進んで直接的な物理的攻撃を相手に加える理由がない、ということがお分かりいただけるかと思います。まぁ、それはさておき本稿の主旨は「直接攻撃よりも間接攻撃の方が大概の場合において有効である」ということですから、そちらのほうに話題を戻しますが、要は対象に直接衝撃を加えるだけでは耐久値や装甲的なものがある場合はそもそもそれを超える物理的値でなければまったく効果がありませんし、例え超えたにしても、前述の通り物理的な打ち合いになるだけで、ほとんど原始人と同じでまったく駆け引きとしては進捗がないどころか、意味がありません。で、象徴的にファンタジーやRPGなどのゲームに代表されるような魔法や魔術、あるいは少し先進的なSFなどのレーザーなどのエネルギー波はどうか、というとこれらは大概使用に相当のエネルギーを消費するのでまず物理的にも強力なのはさておき、これら魔法や魔術、エネルギー波といった類のものは大抵そのエネルギーによる物質的変化にのみならず対象に物理的変化を加えるものがほとんど、です。熱などで破壊される部分はさておき、その物理的値に換算した際の衝撃よりも圧倒的に対象に物理的変化が加わる度合いの方が大きい、つまり、あまりにもエネルギーが強すぎるため、対象の表層の物質的破壊よりも状態そのものを変えてしまう場合がほとんど、なのです。このことについて言えば例えばレーザーの話になりますが、熱が加わることによる破壊の度合いのほうが物理的衝撃よりも大きいわけで、これは単純にエネルギー波でもあるから、なのですが対象の耐久値を無視するほどの威力である以上そもそも物質としての性質を変えてしまうくらい、攻撃の威力が強い、のです。魔法や魔術の場合でいえば、例えばこのように破壊力の強いものは物理法則的に想定しづらいものですが、それでも人間の物理的ダメージというのはそもそも見かけの脅威以上の衝撃を受けるから反射などで対処できずに結果的に身体にダメージを受ける場合というのがほとんどで(反射などのほんの少しの動きで特に物理的衝撃を回避していると思われる)、例えば物理的衝撃や見かけの物理的状態変化がほとんどなくても、あわよくば祈願やおまじないレベルであったとしても、物理空間での物質そのものの状態や意味合いをこっそり変えてしまえば(物理空間での物質の意味合いは把握できる範疇であればその場にいる人間が決めている≒意思)、そもそも場的な位置的あるいは存在的意味合いを変えられてしまうため、その場にいる人間の駆け引き的戦術的意味合いが変わり、結果的に術者(使用者)に有利な展開になることが予想されます。まぁこれが例えばファンタジーやRPGゲームのような戦いでなくとも、祈願や願掛け、おまじないレベルの魔法であったとしても、むしろそのほうが、ですが物理的変化がなくとも物質的な状態や意味合いは変えられてしまうため、戦いや駆け引きといったゲームの抽象度で見れば、むしろそのことによってその後の展開が有利に運ぶ場合が多いのです。まぁ、そもそもこれが戦いである必要はないのですが、ゲームや駆け引きの要素を用いたほうが魔法なら魔法で魔術なら魔術で、レーザーならレーザーでそのもの本来の力や物理的威力を導き出しやすいのであえてそういったような設定で話しているわけなのですが、まぁそれはともかく魔法とはそもそも実際の物理的定義でいけば「物質の物理的形態や物としての物は変えずに、物質的状態や物質的な意味合いを変化させてしまうこと」であるわけですから、対象に物理的な衝撃は加えずに状態や物としての意味合いを変えてしまうこと(まぁ、これがもっとも実際の魔法に近いものだ、とは思っているわけなのですが)が上記の記述をもとにすれば如何に物理的に強力であるのか、ということはよくお分かりいただけるかと思います。その上で魔法とは何かを定義するならば「物理的ではなく物質に対しての状態変化を加えること」であるわけですから(ちなみに魔術はそれらを行う際に儀式化させること、場を用いて状態変化を加える点において、巴術(Arcane)に同じ)物質そのものは変えなくても状態や意味合いを変えてしまうので例えばその物の意味合いそのものが変わりますし駆け引きや位置関係においても変わります。それが変わってしまえば物質の意味合いやその物の相関関係そのものも変えてしまうので、直接物理的に力を行使するよりもやがて大きな変化となってその場に如実に表れる―これが魔法の極意のようなものではないのでしょうか。つまり、その物としての物は変えなくても、物質的状態や意味合いを変えてしまうことで相関関係をいじって駆け引きにおいて状況を動かしてしまうわけですから、それそのものに直接力を行使するよりは、よっぽど強力だとは思いませんか?確かに、直接物理的に力をかければそのものは壊れたり曲がったりするわけですから、それが力じゃん、強力じゃん、と単純に思われる方もいるとは思いますが、実際の物理空間というものはそんなに単純じゃありません。駆け引きや位置関係などの互いのものの相関関係によって、ゲーム(特にこれは情報的なもの、とも捉えることもできるわけですが)、つまりものともの同士の関係性は動いてやがては成立していくわけで、単に力によって動く世界、では決してないのです。まぁ、スターウォーズのフォースのようなもの(観念動力に近い)やレーザーのようなエネルギー波のものでも、確かに物理的力というかベクトルに換算すればそれなりに力、と呼べる見方もできるのかもしれませんが、ここでは違います。単に物理的力、エネルギーとして観られる世界ではなく、確実にもっと一つ上の「物理的意味合い」として観なければいけない世界、なのです。ここでのエネルギーとは単に物理的力ではなくもっと上の意味合い的エネルギーを含めた定義なのですが(要は使用者の意思が働くためその一個上の情報空間、そこでの駆け引きや位置関係がより大きな意味合いを持つ)まぁ、駆け引き的な相関関係で最終的なものの位置関係が決まる、わけですからそもそも物の形態を変えるわけではなく物質の状態や意味合いを変えることによってその物理的関係性をいじる魔法は、直接的に物理的衝撃を加えるような攻撃よりはよっぽど強力だ、というわけです。じゃあ、どうやって変えるのか、というのは巴術(Arcane)的な項目も参照してもらうとして、要は場をいじって、その中心にある物質の形態は変えずに物質としての状態や意味合いを変えてしまう、というもので物理実験で例えれば電磁場と磁力の実験にも似ています。まぁ魔法と磁力線の項(トップページのメニューからいけます)でも紹介した通り、この地球上であれば魔法のエネルギー線というものはそもそも磁力線をほぼそのまま辿って迸っているのではないか、ということなのですが、要はエネルギーであればなんらかのその場における強力なエネルギー線をほぼ等しく辿っているとも考えられるというわけで(一定の場におけるその場のエネルギーは最大のものを超えないため≒エネルギー保存の法則)、そういう意味では現状地球上で判明している力あるいはエネルギーに例えるならば、魔法のようなエネルギーは大体磁力線のような強力なエネルギーに近い、似たような性質を持っている、ということは大概にして類推のようなものでも分かってしまう、わけです。まぁ、要は何であれ魔法はエネルギーであるわけなのですが、同じような物理的衝撃をほとんど加えないレーザーのようなものに比べると、魔法はよりエネルギー的なもので、かつ物理的衝撃を与える方向に、ではなく物質そのものの状態や操作する側の人間における意味合い(ほぼ≒でその場におけるその物の意味合い)を変える方向に力が働くものだ、ということは覚えておいて損ではないでしょう。その上で、物質に状態変化を加えることは何か、ということを問えば要は前述の位置関係的、あるいは相関関係的意味合いを変えてしまう、ということにあたりますから(ちなみに、物質の状態という言葉自体そもそも操作する側の人間にとっての意味合い、あるいはその相対的変化というものを指している言葉ではあるのだが)、直接物理的に衝撃を加える物理的攻撃よりも、魔法やエネルギーといった状態や意味合いを変えてしまうといった力が如何に強力であるかが、よくお分かりになられるかと思います。最後にまとめ、ですが実際、人間の動かす要素、というのはせいぜい物の状態や意味合いといった動かせる要素で、逆にいえば物の物理的耐久値や衝撃に対しての装甲値、あるいはその時における場や位置といった場所はその時の偶然やその場にあたっては予めほとんど決まっているもので意思で動かせるものではないので(ゲームにそもそもその場という枠があるように)逆に、反対にいってしまえば動かせるものを動かす、ことによってその場全体の状況をいじることが可能になるので、まぁ総括すれば風と水というか。動かせるものを動かす、でその相対的関係性をいじることによって状況を動かす、これが人間にとって自然の、本来の業なのではないか、と思います。物理的な力に捉われると、どうしてもその空間から思考が抜け出すことができませんが(その場の枠のものであるため)その一個上の情報的空間、という見方を用いれば、物事を情報的位置関係あるいは相関関係で見出すことができ、それそのものこそがその場で物事を変える力、となるのです。まぁ、難しかったかもしれませんが、簡単に魔法に関しての物理的状態というのを表すとこうなります、ということでもあります。長かったですが、お疲れ様でした。

―補足

戦いにおける良し悪し、どれくらい有効かそうでないか、有利不利だけに限ってフォーカスして観れば、まずもって戦いの戦局を動かす手というのは、できるだけ相手の戦術的選択肢を狭める、という点においては敵を直接打撃するよりも状態変化を加えるか間接的に情報的に変化を与えるというのが一番手っ取り早い、です。例えば偽情報を与えて厭戦させたり熱や水気(火攻めや水攻めですね)、あるいは風などを利用して何かしらの毒を与えたり状態を変化させる、あるいは現場地理にちょっと細工をして進軍路上で敵を混乱させる、など個々の生命体の集合体としての敵軍の状態や情報にダメージを与える、あるいは変えてしまうといった攻撃方法が、一番よくありそうな手でありながらもっとも効果的、だということです。お互いが個々の生命体である以上戦いでは直接ぶつかり合うのを心理的に敬遠する傾向にありますが(不毛なやり合いになるため)、それと一緒にそもそも戦い、ゲームというものは状況をいずれかの方向にスピン(転回・展開)させないとなかなか状況が動かないため、ただただまともに正面からぶつかり合っても戦いというものは大抵戦力の均衡した状態で行われる場合が多いため両軍とも無駄に消耗するだけです。特に体力、残りの余力こそ生命線の実際の戦いでは常に無駄な戦いは避けなければならないため、相手を直接物理的に打撃しない形での「攻撃」がもっとも強力な一手になるわけです。それには前述のように状態の変化や情報を用いた攻撃がもっとも適していますし、戦術上では軍勢の配置や陣形などで相手をより相対的少数の状態にして士気を下げさせることもできるわけです。まぁ、どちらであれ相手を情報的に攻めることには変わりありませんが(孫子にも相手の心を攻めろとある)いずれの場合も相手あるいはその場の物・事物の状態を変化させることによって相手よりもより有利な状態に自軍を導く、というのが戦いにおいての常勝手段、となるわけです。それともうひとつ、それについてはいずれかの状態に変化を加えることによって相手の戦術的選択肢を狭める、あるいは進むべき方向に強制的に変化を与える、という効果があります。戦いというのは駆け引きである以上、個々の実際の細かい損害よりも大局の趨勢の方が往々にして大事、ですから正面からまともに取っ組み合ってウーウーと力比べをするよりも、戦術的局面になんらかの転回(展開、スピン)を加えたほうが断然局面が打開しやすくなるもの、です。その場限りの力比べ、よりもより大局で勝つことのほうが重要で、そういう意味では相手の戦術的選択肢を狭めつつ、自軍の攻撃手段、オプションを確保する、それにつれて戦局全体のバランスを見つつ、相対的に有利、勝っている状態を作り出す、これこそ現場の指揮官に重要な能力のひとつ、ではないのでしょうか。

―もうひとつ
これを補完するわけではありませんが、戦いの勝ち負けは運とその時の趨勢(時勢・形勢・地勢・軍勢)で決まります。前者が偶発的要因で後者が時とその時揃う要素によるある程度の指標に沿った偶発的要因、になります。運そのものがほとんど偶発的な不確定要素を指すのに対し、趨勢のほうはある程度の両軍の準備それからその時の勢いのようなもの、になります。だいたい運が80%で趨勢が20%ぐらいの比率でその時の勝敗を左右すると思うのですが(バランスを取るとだいたいこんな感じ)まぁ、要は様々な要因を踏まえた偶発的要素で勝ち負けが決まることが多い、ということです。なぜかといえば本文中にもありますが戦いとはだいたいほぼ同じ年代に同じような軍備の同じような地域の軍勢同士が戦うことがほとんどなので、だいたいまともにぶつかれば膠着状態になります。なので、上手く相手の状態に変化を加えて(まぁ要は情報や士気にダメージを与える、ということですね)その五分五分の膠着状態を打開せねばなりません。まぁ、それが上手くできたほうが最終的には勝つわけ、なのですが特に運が80で趨勢が20ぐらいだと仮定すると、ちょうど相手の状態に変化を加えることによって戦いの勝敗がほぼ左右されるということを説明しやすいので、書き加えておきました。これに関しては、以上です。

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