錬金術と四大元素

錬金術の四大元素にかんしていえば、火・水・風・大地と意外と上手く分かれているもの、ではある。この世のほぼすべての物質を4つないし5つの元素で分けられる、という考え方ではあるのだが、これが必ずしも4つか5つに分けられる、といっているわけではない。例えば火と水の属性を含んだものがあるし(例えばアルコールなど)風と大地の属性のものだってある(植物由来の紙や陶器など)しかも火と風と大地のものもあるし(真鍮や鋼など合金)、火と水と大地のものもある(例えばカカオ、など)。要は複数の属性を含んだものもあるわけで(しかもその複数というのも元々四つ全て揃ってあるものが物によっては属性同士が互いに打消しあっている、という部分もある)、そういう意味では万物の数と同じだけ四大元素、属性の組み合わせもほぼ無限大、なのである。もっとも、四大元素の組み合わせだけで成り立っていないものも当然存在するのだが(もっといえばこの世で判明している化学的元素で出来ていると考えられるものは今わかっているこの宇宙で5%にも満たないとする定説もある)それはこの地球においては大抵重元素か希少物質で、生活や文明の基礎を主軸とした錬金術においてはむしろ往々にして有触れて居るもの(火・風・水・大地)が主な分類対象となった、のであろう。もっとも、四つか五つに分けてしまったほうが分かりやすいという意味では効率はいいのであるから、自然と化学の一番基礎として残すであれば四大元素の概念がもっともスマートなのであろうが、それでも、この四つか五つというところに身近なものであれば物質のほぼすべてが収まる、というのには単なる偶然とは感じられず、むしろもっと数学的な秘数のようなものが隠されているに違いない、と思わされて惑わされるのである。この世の神秘はいかほどに進んでも解明されないというものである、ということがまた神秘であり真理でもあるのだが、それにしてもほぼすべての身近なものを四つか五つの元素で成り立っている、と証明できてしまったのは歴史の重み、人類の神秘といっていいほどに他ならない。もっとも人類の神秘はこれに留まらないのではあるが、それにしても四つか五つのもので身の回りのもののほとんどすべてが成り立っている、と考えたそのアイディアにはつくづく脱帽せざるを得ない、といったところが今の心情ではある。そういった意味ではこの世の神秘に神妙さを感じずには居られないのである。

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